はじめに
エンタープライズクラウド本部の小林です。
AWS re:Invent 2025で開催されたセッション「Amazon's journey deploying Quick Suite across thousands of users (BIZ203)」にあった Amazon 社内における「Quick Suite」展開の舞台裏を整理します。
これから Quick Suite を展開していくにあたっての知見や、サイロ化したデータ・乱立するダッシュボードをまとめチャットによる受け答えを可能とするためのAI活用などが盛り込まれていましたので、ぜひご参考ください。
※ 発表資料が公開されたら、後ほどリンクを追加します。
現在の課題と Amazon Quick Suite のビジョン
職場の変革を推進する3つの力:
現在、職場に変革をもたらしている主な要因は3つ存在する。
- AIエージェントの台頭
AIエージェントを導入した企業では、生産性が 33% 向上している - 意思決定の加速へのニーズ
2028年までに、日々の業務上の意思決定の 15% が、AIエージェントを通じて自律的に行われるようになる - 高まるプレッシャーと競争
AIを使用していない労働者と比較して、AIを使用する労働者はパフォーマンスとスピードが 40% 向上している
現状の課題:
従業員もこれを感じているが「AIコンシューマーギャップ」(と呼ばれるギャップ)が存在。
- 従業員はAI体験を日々の業務に取り入れたい
- 一方で企業側は、セキュリティ、信頼性などを確保した環境を持ちたい
この環境下では以下の課題が存在する。
- CRM、分析ツール、ドキュメントなどからデータを引き出す必要がある
- ツールの多くは、独自のエージェント環境を持っている
- アプリ間の切り替え(コンテキストスイッチ)によって 月に40時間以上 が浪費されている
Amazon Quick Suiteのビジョン:
- 「Agentic Teammates(自律型AIチームメイト)」が従業員と並走すること
- 職場で質問に素早く答える
- その答えを行動に変える手助けをする
Amazon Quick Suite の製品構成

Quick Suiteは以下の主要機能とアーキテクチャで構成されている。
主な機能:
- Chat Agents: 自然言語での会話
- Quick Research: 詳細な分析と包括的なレポート作成
- QuickSight: ビジネスインテリジェンスと構造化データの可視化
- Quick Flows: 定義されたステップで反復タスクを自動化するノーコードワークフロー
- Quick Automate: 複雑なマルチステップのワークフロー自動化
アーキテクチャ:
- Enterprise Data: Quick Suiteは、すべてのデータソース(ナレッジベース、ユーザーがアップロードしたファイル、QuickSightからの構造化データ)を集約
- Actions: 集約したデータをファーストパーティおよびサードパーティ製アプリのアクション実行と組み合わせる
- World Knowledge: さらに Bedrock モデルやウェブ検索で補強
- Spaces: Enterprise Data と Actions を包含。トップダウンの厳格な企業構造ではなく、チームごとの環境を作り上げ、ミッションに関連する特定のデータソースに接続
- Governance, Data Security:上記すべてが、Enterprise レベルのセキュリティとガードレールに含まれる
Amazon社内展開における課題と対応
Amazonも他のすべての企業と同様に、AIエージェントの展開(Rolling Out)において課題を抱えている
- AIの試験導入の 88% は、本番運用にたどり着けずに失敗
- 経営層(C-suite)の 72% が、自社がAIを採用する際に少なくとも1つの課題に直面したと回答
直面した4つの課題
- Broad implementation: 様々な職種・役割、役職、そしてAIへの習熟度に対応する必要があった(広範囲な実装・導入)
- Security & Legal: AIエージェントという技術が新しく、ベストプラクティスが不足しているため、セキュリティや法的なガードレールが必要であった
- Disparate Data: 各事業部門が、それぞれでミッションクリティカルなデータソースや、好みのアプリケーションを持っていた(データのサイロ化)
- Change Management: 単にツールを導入するだけでなく、従業員の行動を変えること、働き方そのものを変革する必要があった
対応の詳細
- データの統合 (Data Unification):
- 社内にはデータがバラバラに存在しており(サイロ化)、それらを統合する必要があった
- 15の主要プロダクト(プロジェクト管理、ドキュメントコラボレーションなど)を優先し、Quick Suiteに接続
- これにより従業員が日常的に使う重要なデータにすぐにアクセスできるようにした
- 質の悪いデータが混ざらないよう、信頼できる情報源(ナレッジベース)を整理・作成
- AIが正確な回答をするために不可欠
- セキュリティ (Security):
- 顧客からの信頼は安全な内部ツールに依存しており、Amazonの厳格なセキュリティ基準を満たす必要がある
- アーキテクチャレビュー、脅威モデリング、包括的なペネトレーションテストを実施した
- プライバシー (Privacy):
- グローバル企業として、私たちは多くの国の労働評議会(Works Councils)と協力して進める必要があった
- Agentic AIと標準的なLLMの違いについて彼らを教育する必要があった
- Spaces内のデータは元のソースの権限を継承するため、単に全員が閲覧可能になるわけではないことを明確にした
- スケーラビリティ (Scalability):
- 組織として大規模に浸透させるための施策を実施
- ポリシーの更新: 全社的なコンプライアンス遵守のために、「AI責任ポリシー(AI responsibility policy)」を更新
- ペルソナ別の戦略: ユーザーの役割(ペルソナ)ごとの「悩みの種(pain points)」をマップ化し、AIがどう役立つかを明確にした
- 多角的なローンチ計画:
- Quick Suiteブラウザ拡張機能とM365アドインを自動インストール
- 「Training Snacks」と呼ばれる短い動画や社内Wikiを立ち上げた
- Slackチャンネルでの相互サポート体制を確立
- 「Voice of the Customer」によるフィードバックループを確立
最も効果が高かったユースケース
プログラムマネージャーステータスレポート
- 毎週のステータスレポート作成(進捗報告)は、プログラムマネージャーにとって「巨大な時間の浪費」であった
- Quick Suiteを使ってデータソースを接続し、「Quick Flows」で自動化
- 組織全体として毎週数百時間もの時間を節約
- AIが重複作業やリスクを発見することで、業務の質も向上(単なる効率化を超えた「Force Multiplier」として機能)
営業組織での活用
抱えていた問題: Problem of plenty(多すぎるがゆえの問題)
- データのサイロ化と、乱立するダッシュボード
- チームはビジネスの本質的な問い(「Why(なぜ)」)よりも、単なるKPIに過度に注目
- ビジネスレビューは苦痛で、大量のデータがあるのに文脈が欠けていた
解決策: The Three-Tier Intelligence Framework(3層インテリジェンスフレームワーク)
この問題を解決するために、3つの層からなる分析の枠組みを定義
- Descriptive Analytics: 何が起きているか?(従来のBIダッシュボード)
- Diagnostic Analytics: なぜ、どこで起きているか?(根本原因の特定)
- Prescriptive Analytics: どう行動すべきか?(AIによる推奨アクション)
解決策の具体化

Quick Suite の上に「従来のBI(QuickSight)」と「対話型AI(Quick Suite)」を融合させたシステムを構築
- Book of Insights
- 本のような直感的なアーキテクチャを採用
- 各章が機能(収益、パイプラインなど)を表す本をイメージ
- 既存の 断片化した QuickSight ダッシュボードを集約・埋め込み
- 「Descriptive(何が起きているか)」は埋め込まれたQuickSight(グラフなど)で確認
- 「Diagnostic(なぜ)」「Prescriptive(どうすべきか)」は、Chat Agents を通じて対話形式で深掘り
アーキテクチャ

- The Foundation(基盤層)
- 最初にAIが理解できる形にデータの「下準備」を行い、信頼できる情報源を作成(構造化データと非構造化データの両方を取り込む)
- Data Preparation: データをそのまま使うのではなく、「Templates(テンプレート)」や「Business Doc Generator」を通して、AIが読み取りやすい形式に変換・加工
- Orchestration: データ処理のオーケストレーション(Lambda等)を経て、「AWS Insights Knowledge Base」に格納
- The Enrichment(強化層)
- 単なるデータではなく、ビジネスの文脈(ドメイン知識)を付与
- 「AWS Insights Knowledge Base」上のデータに「Marketing」「Sales」「Finance」といった部門ごとの文脈やロジックを付与・蓄積
- The Intelligence(知能層)
- 「何が起きたか(What)」だけでなく「どうするか(How)」へ移行するための層
- 経営層(Executive)、営業(Sales)、財務(Finance)などのユーザーが、Quick Agent 経由で自然言語で質問(Questions)を投げかける
- ユーザーの質問に対し、「Quick Agent」が「Knowledge Base」を参照して、文脈に応じた回答(Answers)を返す
- 従来のダッシュボードは決まったものしか出てこない「自動販売機」
- ここでのAgentは、ナレッジベースという材料を使って注文通りの料理を作る「シェフ」の役割
- The Security(セキュリティ層)
- エンタープライズ利用に不可欠な、厳格なセキュリティとアクション機能を追加。ユーザーの役割(ロール)に基づいてデータを守る
- データベース(DB)接続時に行レベルのセキュリティを適用し、ユーザーが権限のないデータを見られないように制御
- The Ecosystem(エコシステム層)
- AIが単に答えるだけでなく、システムに対してアクションを実行
- システム間の翻訳や連携に「Quick Actions」を使用
- 「AWS Insights MCP Servers」を通じて自チーム以外のツールやエージェントとも連携
Quick Suite との接続方法
Quick Knowledge Base(ナレッジベース接続)
- 仕組み: Quick Suiteの標準的な統合機能を使い、インデックス化されたデータから直接回答を検索・取得
- 用途: 実験・検証や、一般的な質問への回答
Tools as MCP Server(ツールとしてのMCP接続)
- 仕組み: 特定のビジネスロジックやツールを「MCPエンドポイント」として公開。Quick Suiteのエージェントが必要に応じて呼び出せるようにしている
- 用途: タスク自動化や、エージェントが「計算する」「特定のデータを照会する」といった具体的なアクションを実行する場合に使用
Full Agent via MCP(フルエージェント接続)
- 仕組み: このシステム全体を一つの大きな「エージェント」としてMCP経由で登録。推論の制御権をフルに持ち、複雑なビジネス文脈に対応
- 用途: 単なるデータ返しではなく、診断など高度な分析に使用されます
AIエージェントを洗練させるために学んだ教訓
- データの基礎が最優先:
エージェントの質はデータの質で決まる。LLMの計算ではなく、構造化データを通じて正確性を優先する。ゴミデータからはゴミの回答しか生まれない(Garbage In, Garbage Out) - ペルソナベースのインテリジェンス:
ユーザーの意図を理解するエージェントを構築する。同じ「売上はどう?」という質問でも、経営層なら「戦略的な概要(全体感)」を求め、現場のセールスマネージャーなら「詳細な取引分析」が求められる。相手(ペルソナ)に合わせて回答の粒度を変える必要がある - インテリジェンス・コンテキスト管理:
正しい情報はすべての情報に勝る(Right information beats all information)。AIに全てのデータを投げ込むのではなく、必要な文脈だけを精査して渡すことが重要。情報の「量」よりも「精度」を重視することで、ハルシネーション(嘘の回答)を減らせる 。 - エージェント品質評価:
デプロイ前にAIのエラーを見つける。ハルシネーション(嘘の回答)が顧客に届く前に防ぐため、厳格なガードレールと評価フレームワークを構築する必要がある。品質管理なしのリリースはリスクが高すぎる。
その他の社内ユースケース
Amazonでは、バックオフィスから営業現場まで、様々な部門で「Agentic AI(自律型AI)」が実戦投入されている。
AWS Finance Team: 取引ポートフォリオ管理
- 課題: 以前は、接続されていない複数のソースから手動でデータを追跡しており、1つの取引(Deal)の分析に4時間以上かかっていた 。
- 解決策: プロアクティブなアラートを備えた自動インテリジェンスプラットフォーム 。
- 成果:
- 分析時間を4時間から数分に短縮 。
- 500以上の取引をリアルタイムで継続的に監視可能に 。
- リスクのある取引を早期に特定し、収益化を加速 。
Worldwide Specialist Team: 営業スペシャリスト向けAIエージェントアシスタント
- 課題: コンテンツが断片化しており、顧客向け資料や会議準備の作成に多大な手作業が必要だった
- 解決策: 統一したデータメッシュとMCP標準を用いたエージェントワークフローを構築。プレゼンテーション生成機能を実装
- 成果:
- 顧客向け資料の作成時間を90%削減(週に10時間以上の節約)
- チャットへのエンゲージメント率は75%に達した 。
Supply Chain by Amazon: ファイナンスエージェント
- 課題: 6つのサプライチェーン企業を統合する過程で、レポートやデータが分断、事後対応(リアクティブ)にならざるを得なかった
- 解決策: 戦略的財務データ(P&Lや運用指標)をQuick SuiteのSpacesに集約し、組織の文脈を学習させた「Finance Agent」を導入 。
- 成果:
- エージェントによる下書き作成でタスクを加速
- 人員を増やさずに国際的な事業拡大に対応
QuickScribe: 集中型顧客インテリジェンス
- 課題: 会議メモなどが非構造化データのまま散在しており、手動での入力や文書化が負担になっていた
- 解決策: 非構造化メモをAIエージェントが抽出し、構造化されたナレッジベース(SharePoint)に自動登録
- 成果:
- 手動入力を排除し、瞬時に文書化
- 顧客基盤全体にわたるパターンや傾向をプロアクティブに特定
まとめ
今回のセッションを通じて、Amazon Quick Suite が単なる便利ツールではなく、組織の意思決定プロセスや働き方そのものを変えるプラットフォームであることを感じました。
特に、「ダッシュボードを見る(Sight)」ことから、AIと共に「仕事をする(Suite)」ことへのシフトを踏まえて、Quick Suite の導入・活用支援を進めてまいります。
小林 嵩生 (記事一覧)
導入~設計構築~運用まで何でもしたいなといった感じです。