アメリカの抗議活動「Black Lives Matter」における感動的な行動

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皆さん、こんにちは。サーバーワークス・カリフォルニアオフィスの臼坂です。

今回は、日本でも大きく報道がされている、アメリカで起きた警察官による過剰な対応によって亡くなられたGeorge Floyd氏に端を発した抗議活動「Black Lives Matter」に関して、ブログを書かせて頂きます。

当初、この抗議活動に便乗して、全米で暴徒化した人々が様々な店舗を破壊し、略奪を行い、混沌とした状況になっていました。私が住んでいる市でも、クレーン車をレンタルして、Best Buyという電気店に突っ込み、強盗をしようとしたというニュースもあり、特定の時間での外出禁止令などが発令される事態に至っておりました。

最初にこの状況を見た時に、「また暴徒化した人たちがこんなことを…」と思ったのですが、色々と情報を知っていく中で、この強盗を行っている人々は、抗議活動に賛同してデモに加わっている訳ではなく、ただ単に窃盗団がデモに紛れ込んで略奪を行っている感じで、デモ活動とは分けて考える必要があることが判りました。「どさくさに紛れて」とは、正にこの事だなと思います。

まだこの混沌とした状況が完全に変わったわけではなく、まだ抗議活動は継続されていますが、その中で感動した素晴らしいと思う出来事があったので、今回のブログでは「人種差別」どうこうということではなく、その素晴らしいと思ったことについて書きたいと思います。

デモ参加者 vs 警察

アメリカでは、白人警官がブラックアメリカンに対して、過剰な対応をするケースが多々あることが認識されつつも、犯罪を起こす割合が白人に比べ、ブラックアメリカンやヒスパニックの人たちの割合が多いことから、問題視されつつも、なかなかメスが入っていかなかったように思います。

その中で、今回のGeorge Floyd氏の件で、警察に対する今までの不満が爆発し、人種差別と過剰な対応に対する抗議が、ブラックアメリカンの人たちだけではなく、白人やアジア人を含めた様々な人種が賛同する抗議活動になりました。

その中で、当初、警察に対する抗議活動という位置づけで、デモ参加者と警察の間で大きなぶつかり合いが起き、George Floyd氏の事件が発生したミネソタ州ミネアポリス市では、「デモ参加者 vs 警察」という対立構造となっていました。

この状況は、全米各地でも同じような対立構造となって広まっていきました。

警察の神対応

当初、様々な都市で強硬な対応を取っていた警察でしたが、一部の地域(ミシガン州フリント市、ニュージャージー州カマデン市、カリフォルニア州サンタクルーズ市、ミズーリ州ファーグソン市、ノースダコタ州ファーゴ市など)では、警察官がGeorge Floydに対する追悼の意を示し、地面に膝をついて黙祷し、市民とともに変化を求めるデモ行進に参加し、過剰対応の問題の認知と人種差別撲滅を呼びかける活動を行いました。

この情景を見て、勇気のある素晴らしい対応だと感動しました。

なぜ勇気ある対応なのか

皆さんもご存知の通り、アメリカにおいて、市民は銃の保持を憲法で保障されています。(もちろん、銃を持つには様々な制限がありますが...)

そのような国の状況から、警察官は、日々、自身の命の危険と向き合いながら業務を遂行しています。私の知り合いにも元警察官や現行の警察官がいますが、本当に凄い緊張とプレッシャー、そして生命の危険と向き合うことが多々ある業務だという話を聞いています。

そのような環境におかれている警察官が、警察を敵視している抗議者の渦の中に一緒に入ることは、非常に危険なことです。(中には過激な人もいるので)

また、「過剰対応の問題を認知する」という行動は、警察のやり方の問題を素直に認めることになり、自身の立場を悪くする可能性があるとともに、今後の活動に悪影響が出る可能性が高いことでもあります。

そんな事に臆することなく、問題は問題であることをしっかりと認め、過剰対応や人種差別撲滅に向け、抗議活動に賛同する姿を見て、本当に勇気のある行動だと思いました。

「警察は市民を守るもので、市民の敵ではない。僕らも君たちの意見に賛同する。」という言葉を聞いて、感動を覚えました。

なぜ神対応なのか

この警察官が抗議デモに賛同することについて、なぜ神対応だと思うかと言うと、もちろん、素晴らしい勇気を持った行動であるということはあるのですが、それ以上に、この行動により2つの効果がありました。

一つは、警察官が抗議デモに参加することで、過激な活動が抑制された点です。中には過激なことをした人を、同じデモ参加者が取り押さえ、そこにいる警察官に引き渡すといったことが行われました。一緒に参加することで、本来あるべき平和的な抗議活動へと進化した点です。

もう一つは、警察が問題を認知することで、市民との信頼関係をより深く築くことができているという点です。

これらの点を見ただけでも、本当に神対応だと思いました。

最後に

ともすれば、「警察 vs 市民」の対立構造ができあがり混沌とした状況に陥るところを、市民と同じ価値観を共有することにより、平和的な抗議活動になり、また市民と警察の信頼関係を築き上げた勇気ある行動は本当に素晴らしいと感じました。

また当たり前の事かも知れませんが、「正しいことを正しい」、「問題であることを問題だ」と声を上げ、そして態度で示すことで、警察が市民とから信頼を得るとともに、変化を真剣に考え、そして求める姿勢は、本当に学ぶべきことが多いと思いました。

暴動的な報道が多い中、このような素晴らしい状況もあるということを知って頂ければと思い、ブログを書かせて頂きました。